価値ある授業を・・・
せっかくならば価値ある授業を提供したいと日々思う。
民間企業はお客さんにとって価値あるサービスや商品を提供しないと
対価としてのお金が支払われず、潰れる。
そのため民間企業の営業職は価値を届けようとして必死になる。
自分のノルマをあるので、クリアしないといけない。
学校はどうだろうか。
学校にはノルマは存在しない。
生徒の進学実績は重要にはなると思うけれども、
生徒が行きたい大学に進学させるのが教師の役目ならば、
偏差値偏重になるのもよくないという訳で。
評価も存在しない。
貰えるお金も授業内容によって変わることはない。
そして異常なほどに閉鎖的。
学校そして教室、そこはブラックボックスでありどのような
授業展開が行われているのか、どのようなクラス運営が行われているのか、
教室に直接行く、もしくは生徒から発せられる噂以外誰も知るよしもない。
(というのも大抵他の先生も授業やHRをしているため。)
だから、価値ある授業を提供したいという思い、そして行動には
内発的動機づけが欠かせない。
教科書の和訳だけダラダラやっても、まぁあの先生はね・・・で終わってしまう。
教員の授業の均質化は起こりにくく、
個性がいい意味でも悪い意味でも思いっきり出てしまう。
さらに教員の考えなども学校という上下関係があまりにも作りやすい空間では
発しやすくなってしまう。
個人的には生徒と人間同士としてはあくまでも対等な関係を築けた方が良いと思う。
大学に入ってから、社会に出てから必要となる考えやスキルは伝授するけれども、
一方通行の意思伝達では駄目だと思う。
双方向の矢印が必要。
そしてそれは授業でも。
授業も双方向が欠かせない。
現状ある程度双方向のやりとり、つまり発言・発表・話し合い・質問・リフレクション・授業評価などは行えてきている。
これは非常に大切にしたい観点である。
自分にまだまだまだまだ足りないものは
英語の知識と、大学入試問題の傾向把握と大学の入試方法の把握。
恥ずかしながら、まだまだこれらが足りない。
更に欲を言うと将来的には臨床心理士などの資格を取り、
心理学的アプローチでのカウンセリングマインドを身に着けたい。
やるべき事は山程ある。
人生、PDCAサイクルゲームであります。