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お勧めの記事ー脱専門性と柔軟性について

私は以前からMIT Media Labの伊藤穣一さんという方に影響を多少受けてきた。

最初は「なんでこの人はこんなに英語がめちゃくちゃ話せるんだ!?」という驚きから興味を持ち、そして伊藤穣一さんの生き方や考え方などとても共感する点が多くあり

影響を受けるように。そして今回は伊藤穣一さんの脱専門性というブログの記事を紹介したい。

脱専門性について - Joi Ito's Web - JP

 

脱専門性について - Joi Ito's Web - JP

 

脱専門性、英語では”antidisciplinary詳しくは上記の記事を見ていきたいのだが、広い意味での多様性を考えた場合、この脱専門性がキーワードとなってきそうである。

 社会が成熟化(具体的には1997年以降)するにつれて、人々のライフスタイルや個人の価値観が徐々に変化してきている。簡単な具体例をあげるとすると、開成➡東京大学➡官僚➡結婚➡子ども➡マイホーム➡定年退職➡老後

のように一本の線で書けるような多くの人が抱く幸せという感覚、成功という感覚が

人によって異なってきているように思う。かつてのような単一の価値観が通用しなくなってきてしまっているのである。そして職場や学校でも多様性を認めようという事で、宗教やLGBTQなどを広く認める動きも開始されつつあると思う。

これから先の日本の労働人口は減り続けるから、さらに多くの外国人労働者が増えるだろう。そうしたらますます宗教・人種・民族・ジェンダーに関して考慮する必要性が出てくる。さらに今のデジタルネイティブ世代の子供たちと我々大人の脳は構造が違うという研究データもある。さらにさらに文科省は2020年にはセンター試験に代わる学力評価テストを導入して、生徒の主体性・創造性を伸ばそうと必死になっている。

「皆一緒に」はもう通用しなくなりつつある

つまり何が言いたいかと言うと、日本人同士で同じような価値観を持ちながら生きていく事は極めて難しい時代がこれからやってくるのだと思う。否が応でも”多様性”というキーワードに島国であり、単一民族国家である日本が向き合わないといけない時代がもうそこまでやってきているのだ。そうなると従来の文脈に自分を当てはめる事も、また相手を従来の文脈に当てはめる事も難しくなる。より複雑で多様化したコンテキストが徐々に日本の社会に形成されてくるからである。

脱専門性と柔軟性

そこで重要なのは、”脱専門性”と”柔軟性”だと考える。一つのことに執着して、ひたすら極める研究者やアスリートも確かに社会にとって重要な役目を果たしてきた。しかしながら、そのような狭く深くの文脈で生きるよりも今は広く浅く(理想は広く深くであるが)生きられる人が活躍出来る時代なのかと思う。多種多様な経験をしている人

あれも出来ればこれも出来る人・多くの人の意見を聞き入れられる人

このような人たちが今後の社会では求められるような気がする。そうすると、やはり自分の専門領域(必ずしも研究には限らない)だけを極めるのではなく、横断的に広く扱えると良いと感じる。ふと考えた。日本の大学で入学当初から学部を決めてしまうのはどうなのであろか。アメリカの大学は入学当初から専門を決めている人もいるが、大学2年生で決める人もいる。またメジャー(専攻)とマイナー(副専攻)となっているのが、一般的で専攻は心理学で、副専攻は経済学と名乗れるのである。

今までは同じ日本人同士、同じ年齢・近い年齢・似たような考え・価値観で共に活動していれば良かったのだが、ある日突然インド人があなたの隣で仕事を開始したら

あなたは上手く一緒に仕事が出来るであろうか。

どんどん足を延ばそう

これからの日本はますます複雑で多様化してくる時代が訪れると感じる。

どう対応していけば良いのか、それはやはり自分が早いうちから多様性の社会に自ら足を突っ込んでいくことだと思う。

違う国、違うコミュニティ、違う環境にどんどん身を置いて多様性という文脈の中で少数派になる事で学べる事が沢山あると感じる。