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多様性が生み出す社会ー人種・民族・国籍・年齢の壁を乗り越えるー

最近私が良く耳にする言葉がある。それはダイバーシティとか多様性という言葉だ。

日本だとおそらく宗教とかジェンダーとかに関してダイバーシティを推進していきましょう。というような意味合いで使われる場合が多いと思うけれども、多様性という言葉はその言葉の通り、非常に多くの意味を持っていると思うし、やはり今後の教育・企業・あらゆる組織に多様性を認めて、そしてお互いにとってメリットになっていくような社会が望ましいのだと思う。それをthink out side box の視点で考えて行きたい。

 人は宗教や、人種、民族、国籍、年齢、ジェンダーなどで大きくカテゴリー分けされる。例えばアジア人種の日本人男性、田中さん50歳、仏教徒のように。

さらには学生なのか、または社会人なのか、独身か、既婚か

私たちを形成する上でこれらのカテゴリー分けは必然的になされる。

それはある意味当然必要なことだと思うのだが、これを教育現場や、会社など複数人がいて成立する組織に当てはめて考えた場合、どれくらい考慮する必要があるのかふと疑問に思った。

 

というのも日本だとややこのカテゴライズする事に関してやや執着しているような気がする。それは上記に述べたようなもの以外にも日本の社会の見えない文化によって

私たちはよくカテゴライズされがちな気がする。

例えば、「東京大学を出た佐藤さんは三菱商事に入った」という一文を読んだときどのようなことを想像するだろうか。おそらくこの佐藤さんという人は男性で、そして体育会で22歳。頭とコミュニケーション力は最強。のようなイメージが浮かび上がってこないだろうか。自分だったらそのようなイメージがある(笑)

確かに東京大学に入る事は難しく、また三菱商事は非常に有名な大企業である。

そして大学を出るのは22歳と決まっている。

そのようなイメージがないだろうか。もちろんパーソナリティは人によって違うけれども、年齢や学歴、会社名、地域などによって多くの人を何かしらの枠に当てはめようとする傾向がある気がする。これはinside of the box、箱の中に人々を押し込めるような考えだと思う。

多様性が必要としている要素

多様性が求めているのは、なにもLGBTQを含むジェンダーや宗教を認めるということだけに限らず、年齢や、学歴、会社名にとらわれず、どれだけその人の能力を尊重してそして協力していくのかだと思う。さらに言えば、10人10色という言葉があるように、人によって得意・不得意の分野がある。

理系・文系のようなものでいえばわかり易いかもしれないが、例えば人とのコミュニケーションが苦手な人でも、絵がとても得意だったり、また絵がとても苦手でも人とのコミュニケーションがとても得意だったり。この2人が協力すれば、お互いの苦手分野を補完することが出来る。これは自分にも大いに当てはまっていた事なのだが、自分は昔から人と話す事が好きだったし、また得意分野だと考えていた。

何の躊躇もなく、誰とでも話せるし、それが好きだった。けれども、それが苦手な人も当然いる。自分は昔まではなんでそんな簡単な挨拶も出来ないのだろう?

と自分のボックスに当てはめようとしていた。

けれども、その考えはとても危険で意味のないことだと気がついた。たしかに、人との挨拶はとても大切である。しかし、中にはそれが苦手な人もいる。

挨拶が出来るか出来ないかの点だけでいったらその人は苦手な分野かもしれない。

ただ、それはひとつの側面でしかない。もしかしたら仲良くなったら、めちゃくちゃよく話す人なのかもしれない。人は当然ひとつの側面だけではその人を判断することは出来ず、とうぜん多面性がある。多様性とは、その人の持っている能力を多くの人が発見してそしてコラボレーションしていく事だと思う。自分が出来てあの人は出来ない。

そう考える人はおそらく別の視点において相手からもそう思われる可能性が高い。

自分には出来ないが、あの人は出来る。良い点をどんどん見つけていくことが多様性を考える上では大切だと実感。