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環境が変われば人は変わる・・・?ー井の中の蛙大海を少しだけ知る

ここ数年で自分が考えて行動している事がある。

それは自ら様々な新しい環境に飛び込んで新しい挑戦をしていく事

「環境が変われば、果たして人は変わるのか。」と考え始めてからこれを実践している。

 ホリエモンの感じる義務教育の危険性

weblog.horiemon.com

 

今は都立中高一貫校が流行りな気もするし、小中高一貫校なんていうのも近い将来立川市に作られる予定。しかしながら、12年間同じ学校・同じ生徒で一緒にいて果たして本当に生徒のためになるのだろうかという疑問がある。 完全に固定化されてしまったメンバーにおいての学校の環境では、外部からの刺激が非常に入りにくいと思う。自ら外の世界にいかない限りどうしても内部完結してしまい、それがどうも勿体無いように思えてしまう。例えば人間関係において多くの生徒達にとって重要な事は、いかにして学校の中、そしてクラスや部活動、または仲良しグループの中においていポジション取りをしていく必要があるのか。それが重要であり、そこでのポジション取りさえ出来てしまえばその人は安心して学校生活を送る事が出来るし、そうでない人は息苦しさを感じる事だろう。という自分も中高一貫校だったのだれけども、この事を切実に感じていた。

島宇宙

教育学者の宮台さんに言わせれば、特定の数人グループで固まる事を”島宇宙”という。まさに的を得た言葉だと思う。国で共有すべき広い価値感や、学校の一員として皆が持っておくべき価値観が薄れて、特定のグループの中での価値観が絶対的なものとなり、そしてその他の島宇宙の価値観は全く共有される事が無くなってしまう

だから特定のグループにおいては援助交際も悪い事ではなくなってしまう。

詳しくは↓

www.kinokuniya.co.jp

自分自身は昔から、おそらく小学校時代から特定のグループに所属してそしてその中での関係を異常に気にするというのが好きではなくて、気が合うから仲良くするというスタンスを取り続けていた。

 今では高校の時同じクラスだった人とは1人だけ連絡を取っていて、後は隣のクラスの2人、合わせて3人と連絡を取っている。今でも時々会うしとても仲が良いが、その他の人達とは連絡さえ取らなくなってしまった。どうなっているのかは今では分からない。

大学時代の友人ともあまり連絡は取らなくなってしまったけれども、何人かとは今でも繋がりを持っている。バイト先の人はすっかりと疎遠になってしまった。

ふと思った。何がかつての人達と自分を結びつけるのだろうか・・・?

気の合う仲間とはなんであろうか?まぁ結局のところよく分からない。自分は友達はそれになりに多い方だと思う。親友だと思える人も何人かいる。地元のメンバーとは今でも10人くらいと仲が良い。これってマイルドヤンキー?

とふと思う事もあるけれども、自分はおそらく地元の友人と今でも仲が良い。というだけでマイルドヤンキー症候群ではなさそう。

 

詳しくは☟

matome.naver.jp

大学では井の中の蛙

話は変わってしまうけれども・・・・

大学に入ってからは、同じクラス(語学のクラスや必修で必ず会うメンバー)の人や

サークル・バイト先のメンバーだけとつるんでいた気がする。既に出来上がっている組織の中だけで関係性を完結させてしまい、それに安心していた自分がいた。

 輪の中は安心である。サークル・バイト先・クラス組織の人たちは季節や時期によって

多少変わるけれども基本的には一定の人とつるんでそしてその輪の中のノリで楽しむ。

安心感はあるがそれだけな気もする。

内輪完結型

井の中の蛙大海を知らず

まさに自分がそれだった。

組織に存在する暗黙のルールや、ノリに従い、そしてその規定されたルールにおいて自分の存在を発揮する。一度その中に自分のポジションが作れたらもう安心。あとは毎回毎回そのキャラクターになればおk。そのような大学時代を送っていた。

自分が所属する組織以外の人とは全くつるむ事は無かった。自分の中では充実感はあるにはあったが、どこか虚無感を感じる事も多々あった。既にある組織・既にあるルール

に従う。そして楽しむ。外部との交流はほぼ皆無。こう考えると中学や高校もそんな気がする。決められた日程の学園祭。出し物は多少自由に決められるが、それも決まった場所、そして決まったメンバー。

決められた日程の体育祭。決められた内容。決められたメンバー。自分たちは練習をして当日その場に足を運べばおk。

(ふと思い出した。体育祭の時は校長に直談判して騎馬戦を復活させたな。あれは唯一自分たちで何かを変えたきっかけではあった。)

迷える蛙 

大学時代は決められた組織の中だけで仲良くしていた。そうして大学3年生の12月に就職活動が始まった。髪を黒くしてスーツ一式を揃えてそして 、訳が分からないまま大量の説明会とES、Webテスト、面接をこなす。それが自分だった。

当時は社会との接点が無く、何がしたいかも分からないまま挑んだ就職活動は当然上手くいかなかった。だから勝手に終わらせた。すまん、お母さん、当時は大変不安にさせてしまいました(笑)そして勝手に大学院に行く決意をする。

・真剣に学ぶ

・教師になるならばその質を資格・研究によって高める

・教育に関しての専門的知識を取得する

・アメリカに留学をする

・学生モラトリアムを延長して、活動範囲を増やす 

まぁ以上のような事が理由ではあるけれども、

何よりも今(当時22歳)で社会に出ている自分のイメージが全く湧かなかったという事が正直な気持ちかな。何をしたい訳でもなく、何をしてきた訳でもなく、一般的な学生時代を過ごしてきて、ここで社会に出ても後悔してしまう気持ちが自分の中ではあった。そして大学院に入学した。皆も大学院に来ているという事もあって授業・研究に対する向き合い方が真剣な人が多い。感化された。

・授業・課題を真剣にこなす(達成)

・留学に行く(ほぼ達成)

・社会との接点を持つ(道半ば)

・自ら何かを発信する(道半ば)

修士論文を執筆する(道半ば)

・進路を決める(道半ば)

以上の事をやってきた。

筑波大生の海外チャレンジを応援する団体においては、大学職員・教授・一般企業の方と協力したり、ビアフェストの活動では市役所・大学職員・青年会議所・都市整備・活性化協議会・ブルワリー・一般企業・一般客・ステージ出演者(プロ/アマ)など尋常じゃない程多くの外部の方とコミュニケーションする事が出来た。超働いたがとてもやりがいがあった。そして現在はまた環境を変えてアメリカへ。

日本人はほとんどおらず、多くの学生とコミュニケーションを取っている。

大学院に入ってからは自ら違う環境に飛び込みまた環境を変えたりしてきた。

成長した2つのこと

今は自分は多少は2つの点で成長したと思う。

・相手のフィールドで話せるという点

→人は自分の事以外には実はあまり興味がない。

だからこそ相手のニーズをくみ取って会話をする事が重要だと感じる。

その点は留学先であったり、自分が行っきたイベントだったりで学んだ。

・大体どのような環境でも生きていける点

→落ち着ける場所は確かにある。それは日本の実家であったり、また自分のアパートだったりだ。けれども、海外でも日本国内でも躊躇しない勇気があれば大体生きていけるのだと思う。もう時期この留学生活も終わろうとしている。

さて、帰国したら次はどのような環境に飛び込むべきか。当然大学院生のため、修士論文の執筆は行うが、それ以外にも最後の学生生活としてあらゆる環境に飛び込み多くの人を巻き込んで何かが出来ればと思う。

一日一日を大切にしよう。