じゃぁ自分はどうしたいのか?ー未来の窓口相談員

先日とあるIT系企業で働いている高校時代の友人と電話をした。

アメリカにいても日本にいてもInternetさえ繋がっていれば無料で会話出来てしまうなんて本当に便利になった世の中だ。自分の周りの友人はほとんど全員が働いている。

仕事は様々だけれども、皆がそれぞれのフィールドで活躍している。自分はあと一年間は学生だけれども、今のうちに働いている友人から色々な話を聞ける事は大変ありがたい。自分はどうしたいのか?それをもう少し今回は深く考えていこう。

 18歳までは皆一緒

日本だと高校生までは本当に横並びで進んでいく気がする。中には高校中退して鳶をやったりする人もいるけれども、自分の周りの友人・知人は98%以上が高校を卒業した。

18歳まではほとんど皆同じだと思う。平等だと思う勉強が出来る、スポーツが出来る、話が上手い、ぐらいの違いしかなく、ほとんど皆一緒なような気がする

(今の高校生達の実情は若干数年前とは様子が違うように思えるけども)。

高校時代までは学校以外には部活をするか、アルバイトをするか、高校2年生や3年生になったら受験勉強を開始し、私立文系コースなら早慶上智を目指す。 

大学受験が終わると

大学受験を終えると、勝ち負けではないけれども、あいつは早稲田、あいつは明治、あいつは浪人・・・などといったように今までの友人たちに対して新たなラベル付けがなされると思う。大学に入る人、浪人する人、

大学に入って留年する人、ドロップアウトする人、4年で卒業する人、

大学に入ってそしてその数年間で結構それぞれの道がバラバラになって違いが出てくると思う。横並びの年数が徐々に薄くなっていく。いわゆる勝ち組とされるのは、有名大学卒→有名企業就職であろうか。この価値観も今ではもう絶対的な物差しではないようにも思えるけども。

一人一人が求めるモノが徐々に画一的なものから多様化してきているようには思える。

 

魔裟斗

k-1ファイター魔裟斗さんが世界王者になる前のインタビューでこう答えていた。

「チャンピョンになって、沢山金を稼いで、いい車に乗って、いい女と付き合って」

これはかつての勝ち組とされる象徴を表しているように思える。

 インターネットが爆発的に普及する前まではある程度の人生におけるゴールのプロセスであったり、また人生における価値観が割と皆定まっていたように思えるが、

ここまでインターネットが発達してあらゆる情報が止めどなく入手出来る現代では、

きっと多くの人が多くの物差しで自分自身の目標を考えたり、幸せとは何かを考えたりするようになってきているのかなと思う。「こういう幸せもあるんだ」「こういう生き方も出来るんだ」「お金だけが重要ではないんだ」色々な気づきや発見がきっと様々な所で同時多発的に起きているのだろう。今や、会いたいと思った人や連絡を取りたいと思った人がいたらFaccebookのおかげで瞬時に連絡が取れる。かつては3通りくらいの選択肢の中から自分にあった最適な選択肢を取れば良かったのだと思うが今や人生の生き方は無限だ。逆に言うと結構カオスな世の中であるとも言える。様々な働き方が受け入れられ、そしてどんどん皆の価値観は多様化してくる。かつてのように

有名大学→有名企業→結婚→子ども→マイホーム→定年退職→年金生活

という一本の線でキャリアを描くことが難しくなってきているからだと思う。

 複線

自分もまたいわゆる大学卒業→就職という一般的なルートは選ばなかった人間だ、

いや正確に言うと選べなかったのかもしれない。ただ後悔は全くない。この選択肢を選んで本当に良かったと思う。あと2ヶ月の留学生活、そして1年間の学生生活はあるのだけれども、留学・大学院での活動を全うして、その後は全力で仕事をしようと思っている。大変な仕事でもどんどんやりたいと思う。今までの経験や考えをこれからは社会に対してどんどん還元していきたい。もちろん社会人になっても自分への経験投資は当然忘れずに行う。

”人””人”また”人”

昔から”人”と接する事が好きだった。多くの人と会話を行う事で文字情報では捉えきれない莫大な情報や、価値を共有する事が出来た。自分が行いたいことは2つある。

(1)新しい価値や経験の提供によって多くの人々をとことん楽しまる、満足してもらう。

→これにかんしては主に食、旅などを通して発信できればと思う。

”本物体験”を提供したい。

日本は超グルメ大国だ。世界でも有数の食文化の国だと思う。

もちろ無形文化遺産の”和食”もそうだが、世界中の国の食事が日本では楽しめる。

ここまでバラエティに富んでそれもどの国の料理もここまでレベルが高いという国はそうない。つくばクラフトビアフェストというイベントを昨年行った。

イベントを通して本当に美味しいクラフトビールとつくばを中心とした美味しい食事を多くの人に知ってもらえたと思う。美味しい食事と美味しいクラフトビールの掛け算であるペアリングもイベントの趣旨には盛り込んだ。一旦人は本物を知ってしまうと、

それは中毒となってそれ以外は手が出せなくなってしまう。

これも去年だが、筑波大学内にて”ホンモノ体験”を行った。

 

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食材はつくばの最高品質の食材を使い、ご飯は釜で炊く。本気の調理を行い、本当に美味しい食事を何品か提供した。クラフトビールに関しても、幣団体一押しのお勧めのクラフトビールを提供し、文字通りホンモノ体験が提供出来たと思う。

そこでの皆さんの表情がとても明るかったことを今でも忘れずに覚えている。人は本物を知るとハマってしまう。何十・何百・何千と言う選択肢の中から自分一人で見つけるのは至難の業だ。そこでイベントを通してホンモノを提供してあげられた事には意味があったと感じる。また知り合いの方で日本での美味しい牡蠣の普及に努めている人がいるのだが、その人が仕入れた牡蠣を食べた事があった。それは紛れもなく本物の味だった。異次元の美味しさ、牡蠣の概念が崩れた。

・・・こんなに美味しい牡蠣があるなんて。

無限の楽しみ

食事や飲み物の選択肢は無限である。だからこそ楽しいイベントを通じて多くの本物を提供して、一人一人が少しでも楽しめるような手助けが出来れば自分は嬉しい。

 (2)多くの人のキャリアを共に考えて、日本社会の多くに適材適所の花を咲かせる。

人生の生き方も何十・何百・何千とある。 

日本の人口は約1億3千万人だが、一人一人の生き方もそれぞれだ。当然、人生は楽しい方が良いに決まっている。誰も不幸な人生なんて望んでいない。昔からそうだったが、自分は幼少期からお笑い芸人の真似をしたり、面白い事をしたりして人を笑わせる事が人生における至上の喜びだった。多くの人の笑顔を見る事、楽しい表情を見る事、そして多くの人からあいつは面白いと認めてもらう事が嬉しかったのだろう。それは今でも変わらないし、今後も変わらないだろう。自分の中の至上の快楽は”笑”や”楽という漢字に表される。決してどこかの居酒屋ではない。 では今後も多くの人と直接あって、そして一人一人を楽しませる事が出来ればそれで良いのか?と言われるとそうではない。

場所や時間の制限がある。なにより一過性で終わってしまう。

自分がいないとその人の人生を楽しませる事が出来ない。そうではなく、

自分がその人とその人の未来のキャリアに一定期間介在する事によってその人自身が主体的に人生を送れるようになれれば、自分は嬉しく思う。

中国の故事に例えるならば「魚を与えるのではなく、魚の釣り方を教えよ」である。

一旦魚の釣り方を覚えてしまえば、あとはその人は自分の力だけで生きていける。

今の私の目標としては全国にいる一人一人がそれぞれ自分らしく、その人が最も楽しいと思える人生を歩んでいける事。それを一緒に考えていきたい

その人とその人の未来を自分が介在して繋げたい。

それではどうしたらその人が楽しめるのか?やはりそこに仕事という点は外せないだろう。大学・大学院を卒業して多くの人が就職する事になるであろう会社。

その会社での仕事を通して得られるキャリア形成をよりその人らしくしていくためのきっかけや情報を与えていきたい。何でもそうだが、最終的に何かを決定するのはその人自身である。自分はあくまでもサポート役となる事が重要だと考える。 では多くの人のキャリア形成をより輝かせるため、適材適所に花を咲かせるためにはどうしたら良いのか。

(1)その人を徹底的に知る。

人は他人の事はもちろん案外自分の事も良く分かっていない生き物なのだと思う。

自分も自分自身が分かっているようで案外良く分かっていない。

認知的不調和はたびたび自分の中で起こる。だからこそ人を客観的に知る事も一つの手段だろう。数値化させて性格特性を見つけたり、または多くの人との会話を通して、他者判断をしたり、様々な手段でその人がどのような人なのか知る術はある。

人のキャリア形成に自分もきっかけを与えたいのならば、

まずはその人がどのような人なのかを知る必要が大いにある。

(2)その人に対して様々な情報を公平に与える。

その人がどのような人なのか分かったら、今度は自分がその人に対して様々な情報を与えて、キャリア形成のきっかけを与える必要がある。そのためには自分の経験や、様々な情報を包み隠さず与える必要があると思う。自分の利益のため、会社の利益のためにその人に対して情報を選びながら与えるのでは意味がない。目先の利益のために行う事は決して長期的な利益には結びつかない事はもう自分の中で理解している。

だから自分の経験、考え、そして情報をその人のニーズに沿って提供してあげる事が大切なのだと考える。そうする事でその人の将来のキャリアと今を繋ぐ未来の窓口相談員になれると思う。いやそうなろう。

マザーテレサが言っていた

「この世の最大の不幸は、貧しさや病ではありません。誰からも自分は必要とされていない、と感じる事です」

 人は承認を必要とする生き物だ。自分も他者からの承認や評価は欲しい。

だけれども、それをタダで貰おうなんて到底思っていない。まずは相手に徹底的にコミットして、最大限の”楽しさ””未来”の可能性を考える。それが実現出来た時、初めて承認がもらえるのだと思う。【じゃぁ自分はどうしたいのか?】

この問いは自分の中での永遠の課題になりそうである。

 *追記*

おそらく年齢や職業、バックグラウンドが全く異なる人と話す事が自分にとっては好きでそれがいつも新鮮なのだろう。だから旅に行ったり、留学に行ったりして、自分とは違う”何か”を持っている人、経験している人と関わる事が好きなのだと思う。日本人はどうしても同じコミュニティの人たちと一緒にいる事を好む傾向にある気がする。安心感があるのかな。同じクラス、同じバイト先、同じサークル、一つでも自分の安住の場を見つけるとそこだけのコミュニティででいかにして自分の立場を確保しようとするのか必死になっているような気がする。いくら一つのコミュニティでリア充ポジションを確立してもそれは「井の中の蛙大海を知らず」である事は自分自信が実感した。周りから見れば自分達のコミュニティはいかに大したものでないのか。だけれども、なんとかして必死に一つのコミュニティに自分の全てを捧げようとしている人が多いような気もする。それが無くなってしまったらその人は果たしてどうなってしまうのか。一つのコミュニティに盲目的に尽くしてしまう事は、コミュニティに対しての依存度を高めてしまい、自己を確立する事が難しくなる。それは自分にとってはそれが勿体無いような気がするし、そのコミュニティだけに染まっていたら、文字通りそのコミュニティの色に染まってしまう気がする。そうではなくて、複数のコミュニティを持つとよいのだと思う。色々なコミュニティに属してそして各コミュニティにおいて自分の特色をそれぞれ出していって、多面的に自分を捉える事で常に自分を客観視する事も出来ると思うし、

また自分の色がどのようなものなのかが分かってくると思う。まぁ一つのコミュニティだけに所属する事は全くもって悪くもなんともないのではあるが、外の世界を知れば

そこには自分とは全く異なるフィールドで活躍している人たちが多くいて、その世界を知る事はまた新しい自分に気がつけるきっかけとなるのだろう。そのようなきっかけを多くの人に与えていきたい。