具体的な目標志向性が人生では大切
先ほど記事を1時間半ほどかけ3,000字程度書いていたのだが、最後の公開するボタンを押した途端にぶっ飛んでしまった。Why....?
下書き保存しっかりとするべきだった。
さて、気を取り直して・・・
先日とある企業の方とSkype面談を行った。
色々と有益なFBをしていただいた。
そして自分に足りていないものがなんなのか、なんとなく分かった気がする。
【1日24時間】
まずは、先日貴重な時間を割いていただいた企業の方に感謝したい。
かなり、親身になって色々なアドバイスをくれた。
どれだけ相手に親切にしているのか、どれだけ相手のフィールドに立って話をしているのか、それは当事者こそが感じ取れるものである。
言葉・表情・態度・情報量あらゆる情報から感じ取れるものであるが、今回は様々なFBを頂けて多くの事を考えるきっかけとなった。
ありがとうございます。
【目標はより具体的にかつ高く】
自分にまだ足りていないもの、
それは明確で具体的な目標がまだ自分の中にはないという事。
過去を振り返れば色々な事をやってきたように思える。
シアトル語学研修・体育祭応援団団長・体育祭実行委員・塾講師・日本語家庭教師・東南アジア旅・ヒッチハイク・筑波大生の海外チャレンジを応援する団体・留学生チューター、そしてアメリカ留学など。
接点はいつも”人”であり、重きを置いていたのも”人”である。
やはり人と接する事が好きなんだろう。それは間違いない。
ただ、これら過去の経験が点となり、点在しているようにも思える。
これらの経験から何をつかみ、何を学び、そして将来個人として、大野柾人として世の中に対してどのようなインパクトを残したいのか、組織を通じてどのように貢献していきたいのか、10年後、34歳の自分はどうなっていたいのか、一本の線となるようにしっかりと考えなければいけない。
【信頼を得たいという気持ちと評価されたいという気持ち】
今までの人生において重視してきた点はどのようにして人から信頼を得る、頼られるかという事。
昔から人の輪の中心にいる事は好きだったし、組織によりけりだとは思うけどリーダーシップを発揮して、組織をまとめる事も多少はしてきた。
組織で何かを達成する事は好きだし、また皆をまとめていく事も好きなのだと思う。
しかし、それは一方で他者評価を気にしている自分もいるのだろう。
多くの人から信頼を得る事、頼られる事によって得られる評価も同時に気にしていると思う。
それは別に悪いことでもなんでもないと思うのだが、評価・信頼を達成したいがために何かを行うのではないと思った。
何か具体的に達成したい目標があるからこそ、それに向かって努力を続けてその結果としての信頼、評価があるのだと思う。初めから信頼と評価を求めすぎてしまうとそれらが失ったとき果たして自分はどうなってしまうのか、何もやらなくなってしまうのか。
いわゆる外発的動機づけと、内発的動機づけの違いである。
自分はやや外発的動機づけが強いので、信頼や評価に至るまでの過程そとして自分は何がしたいのかを考えたい。
【では具体的な目標は何なのか】
やはり”人”という点は外したくない。
自分が将来行いたい事としては、子どもの将来、高校生の将来、大学生の将来、転職者の将来、人生におけるライフステージの転換点となる時に多くの人を手助けしたい思いが強い。
キャリアカウンセラーではないけれども、系統としてそのような仕事に就きたいのだと思う。
それは他人がどのような人生を歩むのか、それを知る事がとても個人的に好きだからだと思う。他人のぶっ飛んだ人生は聞いていて面白い。
特に有名人の伝記などは興味深く拝見した。
魔裟斗さん・ホリエモンさん・厚切りジェイソンさん・伊藤穣一さん
皆ユニークな人生を送っているしそれがとても羨ましいと感じている。
人生における分岐点、大学にしても就職にしても転職にしてもそれは大きな決断である。当然最終的に決断を下すのは本人以外出来ないのだけれども、それの手助けとなるような豊富な情報量を与えたり、また本人の特性をしっかりと見極めて、どのような進路が本人にとって向いているのか、それのサポーターとなることはしてみたい。
それで、本人がもっと輝けるステージに進む事が出来たら自分としては嬉しい。
それも公平な情報をなるべく多く届けたい。
これは大学時代に学んだアメリカ公民権運動時代の人種差別の考えから来ているものであるのだが、当時黒人は差別されていた。もの凄い酷い扱いを受けてきた。
肌の色が違うというだけで。
肌の色の違いによって人のパーソナリティが分かる訳はない。
日本は単一民族国家のため人種により差別意識はほとんど生まれないが、だけれども特定の人に有利になるように、とか特定の人に不利になるようにとかそのようなバイアスがかかったことは行いたくない。
OpenResources、情報の透明性は重要である。
【ではなぜ手助けをしたいのか】
ところでなぜ一人一人の人生の選択肢における手助けをたいのだろうか。
疑問に感じている点がある。
それは本当に人間は一人一人自分の事をしっかりと把握している生き物なのだろうか。
人生には予想出来ない事、把握しきれない事が沢山ある。
相手の事を100%理解する事なんて不可能だし、当然自分の事を100%理解する事も容易ではないと思う。
「あなたとはどのような人間ですか?」
と聞かれて、躊躇なく答えられる人は果てして何人いるのだろうか。
自分の性格には様々な要因が影響を与えている、
だから自分は心理学を学び人の性格特性や行動特性などを統計によって客観的に導き出したい思いが強いのだと思う。それほど人の考えは複雑でまた聡明なのだと思う。
そして人と人をつなぎ合わせたり、また人と企業をつなぎ合わせるコネクターのような役割が重要なのだと思う。
違う視点を得る事でそこに化学反応が起こり、また新しい発見が出来る。
頭の中でシナプスがどんどん繋がれていくようなイメージであろうか。
それを実社会で体現したい。
人と話して、ヒントをもらう事、刺激を受ける事ででまた新たな発見を自分自身が行い、次のステップに進む事が出来る。
自分一人でやるよりもずっと効率的だし、また全く新しい自分に気が付けるチャンスだと思う。
そのように人生のキャリアにおける決断を一緒に考えていける人間になりたい。
今までの経験を還元していきたい。人に還元し、組織に還元し、そして社会に還元する事。この世の中はGive and Takeで成り立っている。
【適材適所に花を咲かせる】
一人一人がそれぞれのフィールドで全力で楽しみ、全力で仕事をする事が出来ればそれは最終的には日本が元気になって生き生きとなっていく事に繋がると思う。
毎日がストレス三昧で・・・
学校が嫌で・・・
ではなくて、学校は楽しい、仕事は楽しい、全力で自分のいる場所にコミット出来るようになれば、会社としての生産性は上がり、日本のGDPだってもっと上がるだろう。
最終的な目標は日本をもっと元気に世界にもっと誇れる国にしていきたい。
そのためには、一人一人がもっと生きやすい、充実した場所で人生を送る必要があると思う。
【人と企業のマッチング】
一つには人材紹介を行いたい気持ちがある。
新卒もそうだし、転職も今ではもう当たり前になってきていると思う。
終身雇用、年功序列のシステムはもう意味をなさなくなってきていると思う。
時間軸は重要だけれども年齢を重ねれば、必ず能力もあがる訳ではないからだ。
20歳でも出来るやつはとことんできる。年齢によって相手を判断する事はない。
アメリカでは年齢は関係ない。実力があれば、20代でも色々な仕事を任せてもらえる。
自分はそのように若いうちから本当に多くの仕事を与えてくれる会社に就きたいと思う。
そのほうが会社にとっても生産性が上がるはずだ。
そして、転職はアメリカではバンバン行う。
日本だって、実力のある人がいれば当然次のステージにステップアップしていくべきだし、また今の職場で結果にコミットできず、満足出来ていなければ、別の職場に移っても良いだろう。それでその人がもっと輝けるならばそちらに進むべきである。
【自分個人としての目標設定・達成意欲は燃え尽きない】
昔から目標があるとそれに向かって努力出来る方だと感じていた。
英検・大学受験・大学院受験・TOEFLなど何か具体的な目標があるとそこに向かい走り抜くことが出来た。
ただ目標がいったん無くなると、ふと燃え尽きてしまうこともある。
留学中の目標・就職の目標・人生の目標
当然点数はないし、目標は誰も決められない。
常に自分で設定して、それを達成する必要がある。
やめるのも自分、やり抜き通すのも自分。
ただ、やり抜く力”Grit”は自分自身成長に繋がる要素だと感じてる。
「途中であ諦めたらそこで試合終了ですよ・・・?」
安西先生のあまりにも有名な一言だが、これは人生の目標達成の的を得ていると思う。
失敗するかもしれない、成功するかもしれない、けれどもまずは最後までやってみる事、それがGritの力。
常に自分の中で目標を掲げてドンドン挑戦していこう。人生で1,000個の目標があってそれら全て乗り越えていったら、きっと大きく成長出来ると思う。
目標を常に掲げてそれをクリアしていく、そしてまた高い目標を掲げクリアしていく、いつか絶対に到達出来ないような高い目標もいづれかはクリアしていきたい。そんな人生を送りたい。
だから数字にもこだわりたいし、1年目から仕事に対しては全力でコミットしていきたい。妥協はしたくない。
そして人生の最終目標は自分で学校を作ること。日本は海外か分からないけれどもいつか学校をこの手で作ってみたい。
それが今の時点での人生の最終チャレンジだ。
その為にはまずは、全力で”今”に集中する。
【追記】
自分自身大学院まで進み、そして現在留学をしているという事は、
やはり人生においてやり残しはしたくないという思いが強かったのだろう。
「やらないで後悔するより、やって後悔した方がよい」
という考えが自分の中にある。
少し過去を振り返ってみて当時大学4年生の自分は、まだ社会に出るための準備が出来ていなかった。
「ビビっていた。」
という訳ではないけれども当時の自分は親やサークルの先輩との社会人意外とはほとんど話したことが無かったし、また海外旅行やアルバイト意外での社会人との接点が無かった。
社会人になる事がどのようなものか、そして会社とはどのようなものか、それを全く知らなかったしまた知ろうともしていなかった。
就職活動も多少はしたけれども、全く自分がその会社で働いているイメージが湧かなかったし、一年後に社会人になる自分が想像出来ずにいた。
また大学3年生の時に受けたとある教育の授業が大学時代一番面白かったし、アメリカ留学の夢も捨てきれずにいた。
教育と人。
いつもその軸を中心に自分は行動してきたような気がする。
だったら、もう少し真剣に勉強や研究をして、社会人との接点も増やしてそして留学も行いやるべきことは全てやりきってから社会人になろうと決意した。
全く後悔のない順風満帆な大学生活ではなく、やはり悩みや葛藤を沢山抱えていたからこそ、将来は多くの人の課題に寄り添って生きていきたいと感じる。
沢山悩んだ分だけ、沢山考え行動もしてきたつもりでいる。
多くの人に還元出来る社会人になりたい。