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学問の本質ー人間を種々の限界から解き放って自由にすること

先日日経を読んでいたら面白い記事を見つけた。大人になるためのリベラルアーツというタイトルで東京大学理事・副学長の石井さんという方が紹介されていた。

リベラルアーツは基礎教養科目と訳す事が出来、大学の学士過程で身に着けるための基礎的知識の事である。そして私たちはリベラルアーツを学ぶ事で限界から解き放たれるという。その限界とは。

 3つの限界

1-知識の限界。どれほど博学な人でも、全知の人間などは存在しない。私たちは程度の差こそあれ、無知である。

2-経験の限界。世界はとてつもなく広く、私たちが経験できるのはそのほんのごく一部のみである。

3-思考の限界。私たちの思考は過去の蓄積の上に築かれるものであり、完全なオリジナリティは存在しない。

(一部改訂)

そして大学の役割というものはこれらの限界を少しでも開放する事だという。講義では知識の限界を破ろうと試みて、体験活動では経験の限界を試みて、そしてゼミでは思考の限界を破ろうと試みているのである。確かに大学はそのような役割を果たしていると言える。しかし現代においては知識の限界に関しては"google it"の言葉があるようにInternetのおかげで知識の限界から解き放たれようとしている。私たちの頭に蓄積出来る容量には限界があるが、インターネット上の知識を借りればあらゆる知識が(それが正しいかどうかは別として)手に入れる事が出来る。となれば、やはり経験と思考の限界をどれだけ開放出来るのかが大切になってくるだろう。これは人任せ、大学任せにしておく事は出来ない。常に自分から動かない限り得られない事なのである。

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥

聞くは一時の恥、聞かぬは一生の恥という言葉がある。個人的に結構好きなのだけれども、これは人生の教訓を示しているように思える。挑戦する事は失敗するかもしれないけれども、後悔する事はない。挑戦しない事は失敗は決してしないが、人生の最後で後悔する事になる。種々の限界から解き放たれるためには常に自分の頭で考え、挑戦し、行動し続ける事が大切なのだと実感。