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アメリカのエリート教育””ハークネスメソッド”を考察し、日本の教育課題が浮かび上がる

先日、林修先生がメインMCのワールドエデュケーションという番組をみた。

そこで、一つ紹介したい教育方法がある。それはハークネスメソッドというものだ。

主体的な授業”ハークネスメソッド” 

ハークネスメソッドとは、ラウンド型のテーブルにおいて主にディスカッションを行うというもの。先生はいるが、あまり口出しはしない。あくまでも主役は生徒。

生徒は事前に予習を行う事が重要。そうでなければ、主体的な授業とはならないからである。

覚えるための場所ではなく、覚えてきた内容をより深く理解し、コミュニケーション能力を養い、そして積極性を身に着けるメリットがあるのである

ようは一つの丸いテーブルを皆が囲み、そしてディスカッションをするという割とシンプルな授業法なのであるが、これは日本の教育システムにもすぐに取り入れる必要があると思う。

決して主張出来ない”日本人”ではない

昔から日本人は主張しない、自分の意見を言わない、という風潮がある。そして文脈に依存したコミュニケーションに傾倒しがちとも言われている。アサーティブさが足りていないと言われている。

これは、確かに一理あると思う。けれどもそれは日本人という人種だからではなく、今までそのような訓練を受けてこなかったからだと思う。

というのも日本の教育システムは生徒の自主性・主体性を育むようには設定されていない。全ては教師の知識(それも全て範囲が決められている)、そして教師からの一方通行の知識のみを手に入れるスタイルである。生徒のための学校なのに、教師の知識誇示のための発表の場と化していないだろうか。基本的に私語は一切禁止という暗黙のルールがあるため、生徒は自ら発言は決してせず、教師から指名されたら小さな声で朗読をするくらい。教室内に秩序良く並べられた机と椅子があり、皆が同じ方向を向いてそして同じように板書を書き写すという行為を行う。

このような画一的教育こそが、”Learning over Education”出来ない理由である。これでは当然、積極的にディスカッションや意見が言える訳もない。さらに日本人は黙っている美徳・目立たない美徳というものがある。つまり授業中に発言したい生徒がいたとしても、それを行うと「調子に乗っている」とか「しゃしゃり出ている」というような怪奇な目で皆から見られてしまう。平均・均質・同調を保つ意識が一人ひとりに内在化されてしまっているからである。休み時間になれば皆思いっきり話すのに、授業中にならばひたすら黙る・黙る・黙る、そして時々寝る。

これは日本人だからという人種カテゴリーの問題でなく、教育システムの問題なのである。訓練されてなければ、いきなり「皆の前で発表しなさい」であったり、「ディスカッションして自分の意見を言いなさい」なんて出来るはずもない。

では教師はその教育システムを変える事が可能なのか。それも実は難しい。なぜなら教師の多くもまた同じような教育システムを受けてきたからである。異なる教育システムを受けてきた教師というのは、おそらく日本の中のディスカッションなど、アクティブラーニングに近い教育システムを取り入れている数少ない学校で教育されたか、または海外の学校・大学で教育されたごく少数の人間しかいないと思う。当然、従来の日本の画一的教育システムを受けてきた教師は、従来の方法しかしらない。という事は彼ら・彼女らにも落ち度はさほどないのである。そうなるとやはり国家プロジェクトとして大きく変革をしなければいけない時が今来ていると感じる。

2020年に学力評価テストが導入されるが、それではまだ根本的な解決には結びつかない気がする。やや机上の空論にはなるが、全ての高校入学試験や大学入学試験にはペーパーテストの他に面接や小論文を導入させ中学から「一般的コミュニケーション」や「ディスカッション・プレゼンテーション」という授業科目を設置して、教室の座席配置も皆が向き合うように変えていく。

例えば東大に入りたくてそして東大に入るためには、全生徒がペーパーテスト・面接・小論文を行う必要があれば、否が応でも学校・予備校は対応することになる。さらに面接も英語での面接にしたり、またTOEFL iBTやIELTSの点数を課すなどしても良いと思う。世界中で使われている英語は、今の日本では使わなくても全くもって困る事は無いわけであるから、せめて大学入試では必ず使うように仕向ければ改善の余地はありそうである。

結局目標なくして、手段は存在し得ないのであるから。このように国(文部科学省)⇔大学⇔高校⇔中学⇔小学校のように全て連結して、指揮して行く必要があるように思える。

ハークネスはやはり頭が鍛えられる

現在私はアメリカの大学でハークネスメソッドに近い内容の授業を受けている。

多様性と平等」という授業なのだが、この授業では毎回授業前に動画や記事、テキストを読み、授業の始まる前に、オンライン上で課題(予習に基づく)を記入して、出席となる。授業中は皆でのディスカッションやグループディスカッションなどとにかく発言する機会が多い。そして教授はなんと板書を全くしないのである。学生の主体性に非常に重きが置かれている。「これを覚えなさい」ではなく、「あなたの考えは?」という質問がひたすら投げかけられるので、頭がとことん鍛えられる。

「これを覚えなさい」というのは実は頭を使う必要がない。なぜなら暗記するだけだからだ超簡単である。しかし「あなたの考えは?」これは頭を絞って考える必要がある。自分の意見を主張しないといけない訳であり、当然模範解答などは存在しない。そもそも多様性に関しては「多様性とは~~~」という一義的な解釈や解答は存在しないので、お互いの意見を聞き入れ、尊重しそして自分の意見もしっかり行うという方が当然理にかなっている。

ハークネスメソッドを掲げている学校の標語

・Inquire about the direction of the discussion 

➡「議論の方向性を問え」

・Suggest alternative perspective

➡「他の見方がないか提案しよう」

・Listen Closely

➡「人の意見を聞き入れよう」

・Give an oppinion and support it

➡「根拠ある見解を述べよう」

・Pose a new question

➡「新しい疑問を投げかけよう」

これは教育においてもまたビジネスや実生活あらゆることに当てはまる標語になると感じる。めちゃくちゃいい標語だと感じる。

「元気に挨拶しよう」という標語も良いのだけれども、日本の場合学年があがるにつれて標語が少なくなってくるように思える。例えばMIT Media LabであればThe Principlesという9つの標語や4P(Project,Peers,passion,play)という標語がある。目的や理念は人が悩んだ時に立ち返れる重要な意味合いを持つ。ぜひ多くのクラス・そして学校に良い標語を取り入れそれを実践できるようになると良いと感じる。