ぶっ飛んだ思考や行動力の人たち
個人的にアメリカに来てから思う事があるのだが、
日本は平均化させることが得意な国な気がする。
たしかあれは自分が小学5年生だっただろうか(約14年前)。
クラスリレーの制度がなくなり、その代わりに100m走が導入された。
しかもその100m走というのは、50m走のタイムに基づき、そしてタイムの誤差がなくべくない人たちで走らせるというなんとも残念な内容だった。
競争性を下げてしまうのはとても勿体ないし、皆が出来るだけ同じタイミングでゴール出来るようにするというのは、まさに”皆一緒”の理念を体現していると思ってしまう。
”負けて悔しい”という思いはだれにとっても必要だと思うし、この失敗経験というのは若ければ若いほど多く重ねるのが良いと思う。
失敗をするという事は何かに挑戦したという事。
何かに挑戦すれば、何かを学ぶことが出来る。
それのサイクルでいつか成功する可能性が増えるのである。
自分も恥ずかしながら大学生の時はあまり挑戦するタイプの人間ではなくどちらかというとぬるま湯に浸かっていた”井の中の蛙大海を知らず”の人間であった。
小さいころから好きだったもの
”お笑い”
小学1年生の時に人を笑わせる快感を覚えた少年は、
ひたすら今日に至るまで人を笑わせる・楽しませる事が自分の至上命題となっている。
これはおそらく60歳になっても変わらない、いや死ぬまで変える事が出来ない。
ただ人を笑わせる・楽しませるアプローチ法は年齢とともに変化しなければならないと最近実感しているのだが。それが直接的アプローチによるものなのか、また間接的アプローチによるものなのか、時代や回りの環境の変化に合わせて自分の手法も変えないといけない。
ただ、”人を笑わせたい”それも理屈抜きに単純に多くの人を”楽しませたい”という気持ちは自分の芯である。
これは小学一年生からそして今まで絶対に変化していない自分の最強の芯だと思う。
その他の事に関してはかなり流される人間なのだけれども(笑)。
人を笑わせたい・楽しませたいという軸は決してぶれない。
その軸はあったおかげで今まで得をする事もあったけれども、高校や大学時代で俺はなにか特別な活動をしたのかといわれるとそうではない。
お笑いが好きであったにも関わらず舞台に立つことは無かったし、あくまでも身内とだけ関わり、そして身内の人間を笑わせて満足する”井の中の蛙”であった。
そして繰り返しになるけれども、大学3年次での就活が始まり、
俺はそれに全く付いていけなかった。
やりたいことを学生時代全力でやった訳でもないし、また当時は教師になるのか、民間に努めるのか、全く見当もつかなかった。
おそらく思考する努力、そして行動力が当時の自分には無かったのだろう。
思考力を鍛えなければ将来の道は見えてこない。
大学3年間何も考えず、惰性で生きてしまった分、大学3年次必死に自分なりに考えた。
何が自分にとってのベターな選択肢か(ベストではなくベターです)。
そして、文系ながらも大学院に進学することにして、多くの人が選択しない道を選んだ。
大学院に入学してからは今まで考えてこなかった分、必死に考え、勉強し、行動した(つもり)。
ただ、まだまだ悩み、考える事もある。
自分の人生においてベストな選択肢を選べるようになる
というものはきっとまだまだ先のことなのだろう。
ただこれから先も考えて、悩み、そして行動し思考し続ける事は
やめてはいけないと思う。
自分にとっての人生の成功の定義とは死ぬ直前に「あ~あれをしておけばよかったなぁ」という事が無いことである。
じゃぁそのためにはどうするのか、やはり常に挑戦し続けるしかないのだろ。